L’âge cassant

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Je suis né comme le rocher, avec mes blessures. Sans guérir de ma jeunesse superstitieuse, à bout de fermeté limpide, j’entrai dans l’âge cassant.
——René Char, L’ÂGE CASSANT, in Recherche de la base et du sommet
私は岩として生まれた。いくつも傷がついていた。盲信する若さから覚めることなく、澄み切った頑固さの末に、私はなるだろう。砕けやすい年齢に。
——ルネ・シャール, 『基底と頂上の探究』より「砕けやすい年齢」

«Recherche de la base et du sommet»という本があります。著者はルネ・シャール(*1)というフランスの詩人。ガリマール社が出している文庫本で、Poésie/Gallimardというシリーズの一冊です。今ではどうなっているのかわかりませんが、昔は厚い藁半紙のような紙を使い、すぐにばらばらになってしまうくらいの装丁で、いかにも廉価本という代物でした。いつ、どこで買ったのかも忘れてしまいましたが、印刷の日付を見ると、1983年とあります。読んだときの記憶はあって、ほとんど内容を理解できなかった、ということだけは覚えています。

  1. フランス語版WikiPédiaのRené Charを見ても、僅かな伝記的記述と、作品については、モーリス・ブランショ(『無限の対話』)とアルベール・カミュ(ドイツ語版選集の序文)の引用だけしかありません。「われわれの最も偉大な詩人」(カミュ)にしては、扱いが控えめです。日本語版のWikipediaルネ・シャールには、なんと、フランス語版の一行目の和訳しかなく、作品目録さえも訳されていません。ユゴーやボードレール、マラルメやランボーとくらべると、いかに不人気かがわかります。

注や解説の類は一切なくて、断章というか、アフォリズムというか、長短の散文の断片が並んでいるだけの妙な本です。評伝や研究書を読んだことがないので、シャールの仕事の中でこれがどんな位置になるのかもわかりません。初版が1955年刊なのに、60年代や70年代の断片が入っていて、これもよくわからないところです。例えば、次のような部分があります。

Martin Heidegger est mort ce matin. Le soleil qui l’a couché lui a laissé ses outils et n’a retenu que l’ouvrage. Ce seuil est constant. La nuit qui s’est ouverte aime de préférence.
今朝、マルチン・ハイデガーが死んだ。彼を寝かしつけた太陽は、自由に道具を使わせたが、作品だけは手放さなかった。この閾はかわらぬものとなった。夜が始まり、好もしく思っている。
1976年5月26日(水曜日)

はたしてこんな訳でよいのかどうか、それさえ自信がありませんが、少なくとも、この日付での追加があったことはわかります。ちなみに、シャールはハイデガーのお友だちでした。WikiPédiaによると、ヘルダーリンの詩を知ってからハイデガーを読み始めたようです。

さて、この本の最後に、«L’ÂGE CASSANT»という短い断章群があります。文字通り訳せば『もろい年齢』というタイトルです。相変わらず何を言っているのかわからないところも多いのですが、齢を重ねてみると、確かに、「もろく、崩れやすい、砕けやすい」年齢というものがあるというのが実感されてきて、再読するということになったのでした。冒頭に引用した文は、巻頭に載せられたものです。日本では、思春期の青少年たちを傷つきやすくて少しの波乱でも死を選んだりする年齢と表象するのが普通ですが、現実には必ずしもそうとは限りません。現代では、どの年代の人でも、ある日、心折れて死を選ぶ可能性があります。

警察庁の統計資料というものがあって、これによると、ここ数年ほどは、減少傾向だとはいえ、三万人近くの人たちが毎年自殺しています。50代、60代の自殺者が多く、どの年代でも男性が女性の倍くらい。職業別では無職者と被雇用者がほとんどで、自営業者が次ぎます。10代の自殺者が400人いるというのは痛ましいけれども、数字だけでいえば、50~60代で、失業者、そして健康がすぐれない者は、もはや絶望的です。いわば、自殺適齢期ということになりそうです。

シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』に、愛人のクレオパトラが死んだと聞かされたアントニウスが言う美しい台詞があります。

Unarm, Eros; the long day’s task is done.
And we must sleep.
Antony and Cleopatra, Act IV, scene xii
鎧を脱がせてくれ、長い一日の仕事は終わり、
われわれは眠らなければならない。
『アントニーとクレオパトラ』, 4幕11場

シェイクスピアの登場人物たちは、老いも若きも、男も女も、富める者も貧しき者も、だれもが実に的確な言葉で語ってやみません。喜びのときも、絶望のときでさえも、見事なブランク・ヴァースを駆使します。確か、チャーチルだったと思いますが、この台詞を人生で一度は言う機会がある、というようなことを書いていましたが、私は一日が終わるたびにつぶやいています。もはや毎日が人生の終わりといったところでしょうか。ここには、そうした日々の輝きのない生活が集められています。モットーは次の言葉に要約されているように思います。

Quelqu’un qui ne se laisse pas représenter, mais qui ne veut pas davantage représenter quoi que ce soit.
——Gilles Deleuze, Différence et Répétition, ch.III Image de la pensée

何ものによっても代表されず、何ものも代表しない。
——ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 第3章「思考のイマージュ」

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